ドッグフードの歴史|発祥から現在


ワンちゃんの毎日のご飯、ドッグフード。今日では多くの飼い主とワンちゃんにとって、ドッグフードはなくてはならないものになっています。
では、私たち飼い主やワンちゃんにとってとても身近な存在であるドッグフードは、一体いつから存在したのでしょうか?

1860年にイギリスにおいてドッグフードが世界で初めて事業化されたのですがその前に・・・



古代から存在した犬専用フード

古くから人間は犬の給餌に際して、単に残飯を与えるのではなく、犬専用の餌を与えてきたことがわかっています。
記録として残っているものを辿っていくと、その歴史は紀元前にまで遡ります。

といっても、犬専用の餌だけで犬の飼育をしていたわけではなく、残飯などと組み合わせて犬に与えていたと考えられますが、古代から犬の健康面に配慮して、犬専用の餌を積極的に与えていたという事実は大変興味深く、またこうした昔の様子を知ることで、今目の前にいる飼い犬の給餌について考えを深めるいいきっかけになるのではないでしょうか。



古代の記録

Varro coin
ウァロの横顔と名前が描かれたコイン
古代ローマの詩人、哲学者で政治家でもあったマルクス・テレンティウス・ウァロ(Marcus Terentius Varro / 紀元前116年〜紀元前27年)は著書『農業論(Farm Topics)』の中で、犬に肉や骨、牛乳に浸した大麦を提供するように勧めています。
ウァロ自身が非常に長寿であったので、犬の健康にも特別な関心があったのだと思われます。



後年に制作された
『ウェルギリウス・ロマヌス』
の詩集『牧歌』の巻頭ページ
5世紀
同じくローマの詩人ウェルギリウス(Publius Vergilius Maro / 紀元前70年〜紀元前19年)は詩集『牧歌(Bucolics / 紀元前37年頃)』の中で、犬の餌付けについてこう語っています。
"Veloces Spartae catulos, acremque Molossum, Pasce sero pingui"

「俊敏なスパルタンの子犬、そして獰猛なモロサス(マスチフ)には、ホエイ(乳清)を与えるのです。」



コルメラの肖像
1559年
1世紀のローマの作家コルメラ(Lucius Junius Moderatus Columella / 西暦4年〜70年)は農業に関する彼の著書の中でこう語っています。

"Cibaria fere eadem sunt utrique generi praebenda. Nam si tam laxa rura sunt, ut sustineant pecorum greges, omnis sine discrimine hordeacea farina cum sero commode pascit. Sin autem surculo consitus ager sine pascuo est, farreo vel triticeo pane satiandi sunt, admixto tamen liquore coctae fabae, sed tepido, nam fervens rabiem creat."

「ふたつの犬の餌の種類はほぼ同じです。 フィールド(田畑や牧草地などの広場)が動物の群れを維持するほどに大きければ、 ホエイと混合した大麦は便利な食べ物です。穀物のない果樹園であればスペルト(古代の小麦)または小麦のパンを、調理された豆の液体と混合して給餌しますが、暖かく熱されたものは(犬の)怒りを生み出します。」



Yasna 28.1(Bodleian MS J2)
古代アヴェスター語で書かれたゾロアスター教の
経典『アヴェスター』初期の一部、ヤスナ
古代ペルシアを起源とするゾロアスター教の経典『アヴェスター(Avesta / 224年〜651年)』にも犬に関する記述があります。

「ミルクと脂肪に肉を含んだもの、これは犬のための正しい食べ物です。」



近代の記録

フランスでは、「パテ(pâtée)」という言葉は18世紀に現れはじめ、もともとは家禽(飼養された鳥)に与えられたペーストを指していました。
1756年の辞書には、それがパン粉と小さな肉の混合物で作られ、ペットに与えられたことが示されています。



『Encyclopédie ou
Dictionnaire raisonné
des sciences,
des arts et des métiers』
百科全書の表紙
フランスの啓蒙思想家ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot / 1713年〜1784年)とジャン・ル・ロン・ダランベール(Jean Le Rond d'Alembert / 1717年〜1783年)らが中心となって編集した百科全書(大規模な百科事典)『Encyclopédie ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers(1751年〜1772年にかけて完成)』には、倒れた鹿から肝臓・心臓・血液を取り除き、牛乳・チーズ・パンと混ぜてそれを犬に与える、以前の(古い)慣習が記載されています。



フランスの作家ニコラス・ボヤード(Nicolas Jean Baptiste Boyard)は、1844年の著書『Manuel du bouvier et zoophile』の中で、英国の支持に反し、獣の屍から取れた獣脂のかすを犬に与えることに対して警告し、次のように提案しました。

"By a misguided economy dogs are given meat scraps and tallow graves; one must avoid this, because these foods make them heavy and sick; give them twice a day a soup of coarse bread made with water, fat and the bottom of the stew pot; put a half-kilogram of bread at least in each soup."

「誤った経済(倹約)によって、犬には肉の屑や獣の死骸が与えられます。これらの食品は犬を重く、病気にさせるので、避けなければなりません。シチュー鍋の底で作った水と脂肪を合わせた粗いパンのスープを一日二回与えます。少なくとも各スープに半キロのパンを入れてください。」



イギリスでは、少なくとも18世紀後半から犬に特定の食べ物を与えるように注意していました。
『スポーツマンの辞書(The Sportsman's dictionary / 1785年)』が記事 「Dog」の中で、犬の健康のための最高の食事療法としてこのように記述しています。

"A dog is of a very hot nature: he should therefore never be without clean water by him, that he may drink when he is thirsty. In regard to their food, carrion is by no means proper for them. It must hurt their sense of smelling, on which the excellence of these dogs greatly depends.

Barley meal, the dross of wheatflour, or both mixed together, with broth or skim'd milk, is very proper food. For change, a small quantity of greaves from which the tallow is pressed by the chandlers, mixed with their flour ; or sheep's feet well baked or boiled, are a very good diet, and when you indulge them with flesh it should always be boiled. In the season of hunting your dogs, it is proper to feed them in the evening before, and give them nothing in the morning you take them out, except a little milk. If you stop for your own refreshment in the day, you should also refresh your dogs with a little milk and bread."

「犬は非常に暑がりという性質を持っています。それゆえに彼には喉が渇いたときに飲むことができる、清潔な水がなくてはなりません。彼らの食べ物に関して、腐敗が進んだ肉は決して適切ではありません。腐肉は彼ら犬の卓越性(優秀性)が大きく依存する彼らの嗅覚を傷つけます。

大麦ミール、または小麦粉のドロス(浮きかす)、あるいはその両方を、だし汁や脱脂粉乳と一緒に混合したものは、とても適切な食べ物です。変化のために、チャンドラー(蝋燭職人)によって圧搾された獣脂から得られた少量のグリーヴス(動物性脂肪が溶けたあとに残る残留物)と小麦粉と混ぜ合わせたもの、もしくは羊の足をよく焼いたり茹でたりすれば、 非常に良い食餌になります。 肉で彼らを甘やかすときは、常に茹でるべきです。狩猟の季節には、前の夕方に餌を食べることが妥当であり、午前中は少しの牛乳を除いて何も食べないようにして下さい。一日の中であなた自身の軽食のために立ち止まる場合、少しの牛乳とパンであなたの犬をリフレッシュさせる必要があります。」



1833年、書籍『The complete farrier and British sportsman』は、犬の飼育について同様の、しかしはるかに広範なアドバイスを行いました。著者のリチャード・ローレンス(Richard Lawrence)はこのように述べています。

"The dog is neither wholly carnivorous nor wholly herbivorous, but of a mixed kind, and can receive nourishment from either flesh or vegetables. A mixture of both is therefore his proper food, but of the former he requires a greater portion, and this portion should be always determined by his bodily exertions."

「犬は完全に肉食的でも完全に草食的でもどちらでもなく、種類が混在していて、肉と野菜どちらからでも栄養を受け取ることができます。したがって肉と野菜両方の混合物は彼にとって適切な食べ物ですが、前者の場合はより大部分を必要とし、これは常に身体的な働きによって決定されるべきです。」



1860年世界で初めての事業化

"Spratt's Patent Meat Fibrin Dog Food"の広告
1876年
商業用ペットフード業界は、ジェームス・スプラット(James Spratt / ?〜1880年)がイギリスで世界初の犬用ビスケットを発明したことから始まりました。

アメリカ出身で当時ロンドン在住の電気技師だったジェームス・スプラットは、リバプールの港の船着場で、航海から戻った船員が廃棄したビスケットを食べている犬の姿を見て閃き、犬用ビスケットの開発に着手します。

試行錯誤の末、小麦と野菜、ビートの根、および牛の血から作られた犬用ビスケットが完成し、"Spratt's Patent Meat Fibrine Dog Cakes"として販売されました。
1860年、世界で初めてのドッグフード事業の始まりです。

ジェームス・スプラットの犬用ビスケットは当初スポーツ犬の育成に熱心な英国紳士をターゲットにして宣伝され、瞬く間に富裕層のあいだに浸透していきます。
それまで残飯を与えていたことと比べると彼の作る犬用ビスケットは高価でしたが、保存が利くことや給餌の際の手間が省けること、栄養面が配慮されていることやそれらをアピールする巧みな宣伝方法によって、次第に一般層にも広がっていきました。

こうして世界で最初の商業用ペットフードは世間一般に認知され、(残飯と比べて)高価であるにも関わらず、広く大衆に受け入れられるようになりました。



1870年にはアメリカでも事業が始まる

成功を収めたジェームス・スプラットはアメリカに帰国し、1870年にアメリカでのドッグフード事業を開始します。
彼が立ち上げたスプラット特許株式会社(Spratt's Patent LTD.)のビジネスは犬用の石鹸や犬以外のペットのための食べ物、ペット用品へと多様化していきます。

スプラット社のあとを追うようにして、他の企業も犬用のフードや他のペット用のフード、ペット用品を作り始めます。



しかし、商業的なペットフードが本格的に人気を博したのは、1900年代に入ってからのことでした。



20世紀に入り、本格化するドッグフード事業

"PURINA CHOWS"とペイントされた
Mason Transfer and Grain社の
南テキサスの倉庫
1915年
1894年にミズーリ州セントルイスで動物飼料会社ピュリナ・ミルズ(Purina Mills)を設立したウィリアム・ダンフォース(William H. Danforth / 1870年〜1955年)は、あらゆる動物を対象としたペットフードの開発に着手します。
1902年、合併を経て企業名をラルストン・ピュリナ(Ralston-Purina Company)に変更し、その後数々のペットフードを発売して大企業へと成長します。

ちなみにラルストン・ピュリナは2001年にネスレ(Nestlé S.A.)によって買収され、現在ピュリナブランドはネスレピュリナペットケア(Nestlé Purina PetCare)部門によって製造・販売されています。

ラルストン・ピュリナは後述するヒット作「ドッグチャウ(Dog Chow)」を生み出し、戦後のペットフード業界に革新をもたらします。



「Milk-Bone」の広告
1911年
1907年、ニューヨークでベーカリーを運営していたベネット(F. H. Bennett Biscuit Company)は犬用ビスケットの製造を開始します。
肉製品とミネラル、そしてミルクから作られた骨の形をしたこのビスケットはのちに「ミルクボーン(Milk-Bone / Benett's milkbone biscuites)」と名付けられ、人気を博します。

1931年にナショナル・ビスケット・カンパニー(現ナビスコ)がベーカリーを買収しましたが、このミルクボーンは買収後に持ち越されたベネットの唯一の製品となりました。

その後ナビスコ(Nabisco)は、クラフト(Kraft Foods)の所有権の下、2006年にカリフォルニア州サンフランシスコのデルモンテ(Del Monte Foods)にMilk-Boneの権利を売却しました。



テネシー州ノックスビルで開催された
National Conservation Expositionでの
Quaker Oats Companyの展示会
1913年
1901年に4つのオートミール工場が合併して設立されたシリアルの大手クエーカーオーツ(Quaker Oats Company)は1922年に缶詰入りのドッグフード、「ケネルレイション(Ken-L Ration)」を販売します。
ケネルレイションは、1950年代のニューヨークの地方テレビ番組「We Love Dogs」の主要スポンサーでした。
1960年代にはフォーク歌手トム・パクストン(Thomas Richard Paxton / 1937年〜)が作曲した「My Dog's Bigger Than Your Dog」に基づいて作られたコマーシャルジングルが注目されます。

"My dog's faster than your dog, My dog's bigger than yours. My dog's better 'cause he gets Ken-L Ration, My dog's better than yours. "

「私の犬はあなたの犬より速く、私の犬はあなたの犬よりも大きい。私の犬はケネルレイションを手に入れているので、私の犬はあなたの犬よりも優れています。」


(1964頃に放送されていた「ケネルレイション(Ken-L Ration)」のコマーシャル)

元々のケネルレイションの主要な成分は、「痩せた赤身」と宣伝された「米国政府検査馬肉」でした。

Ken-L Rationは1995年にハインツ(H. J. Heinz Company)に売却され、現在はレトロブランド(Retrobrands U.S.A LLC)が所有しています。



同じニューヨークで、ゲインズ(Gaines Food Company)が1930年代に缶詰の肉食犬用ドッグフード、ゲインズフード(Gaines Food)を販売しました。
1943年にゲインズ社はゼネラルフーヅ(当時のGeneral Foods Corporation)によって買収され、ゼネラルフーヅは1961年にゲインズの名前にちなんだブランド、ゲインズバーガー(Gaines-Burgers)を売り出します。
ゲインズバーガーは犬用のハンバーガーで、保湿のパテを用いてハンバーガーと似せて作られました。ハンバーガーとは異なり、ゲインズバーガーは室温で長時間保管することができ、この技術は後に人間の食べ物にも応用されることになります。


(1963年の「ゲインズバーガー(Gaines-Burgers)」のコマーシャル)

1984年、ゼネラルフーヅはゲインズをアンダーソン・クレイトン(Anderson, Clayton and Company)に売却し、1986年にはクエーカーオーツがペットフード部門でアンダーソン・クレイトンからゲインズを買収しました。残りのアンダーソン・クレイトンはクラフト(Kraft Foods)に売却されました。



このように、20世紀にから21世紀にかけて世界的に商業用ドッグフード業界は隆盛を極めますが、米国を中心にドッグフード企業や事業の買収が頻繁に行われるようになり、コストダウンによる品質低下の問題を内包しつつも市場規模は年々拡大し、桁違いに大きなものとなっていきます。

ここに名前を挙げた企業だけでもピュリナ(Ralston-Purina Company)、ネスレ(Nestlé S.A.)、ナビスコ(Nabisco)、クラフト(Kraft Foods)、デルモンテ(Del Monte Foods)、クエーカーオーツ(Quaker Oats Company)、ハインツ(H. J. Heinz Company)、ゲインズ(Gaines Food Company)、ゼネラルフーヅ(General Foods Corporation)、アンダーソン・クレイトン(Anderson, Clayton and Company)と現在でも力を持った巨大企業や世界的な有名ブランドが並んでいて、いかに当時からドッグフード、ペットフード事業が注目され、業界が力を入てきたのかがわかります。



戦後の躍進

第二次世界大戦中は金属が軍需に優先され、「必須ではない」との理由からペットフードに缶詰を利用できず、生産はドライタイプにシフトしていきます。
ドライタイプのドッグフードは1946年までに市場の85%を占めるようになりました。

第二次世界大戦後しばらくすると経済が活況を呈し、人々は徐々に贅沢品を手に入れることができるようになりました。もちろんペットフードもその例外ではありません。
また、企業は、肉の副産物(人間が食べないようなもの)を市場に売る有益な方法としてペットフードに着目しました。



1950年代に登場したエクストルーダー(押出成形機)を使用したドッグフードが市場を席巻します。1957年、ピュリナ(Ralston Purina Company)は「ドッグチャウ(Dog Chow)」を発売し、このブランドは発売からわずか2年で米国においての主要ブランドになるほどの急成長を遂げます。

液状に加工された原料をエクストルーダーで押し出し、成形し、膨張させたのちに焼成されて出来上がったものは、従来の方法のいずれよりも大きく、軽くなります。
エクストルーダーを導入してこれまでにはない新しい製法で作られたドッグフードは、業界に革新をもたらしました。

この方法では、押出プロセスを正しく機能させるために大量のデンプンを原料に含ませ、高温で二度蒸したことによる損失を埋め合わせるために脂肪や香料などをスプレーして、成分と味付けを添加します。
現在の一般的なドッグフードの原型と言えるでしょう。

ドッグフード作りにおける利便性や融通性、より大規模に向く生産性、大きくて軽い仕上がりなど、エクストルーダー導入による様々なメリットを見出した他の企業も続々とこれに続き、競争は激しさを増していきます。



1964年、アメリカ・ペットフード協会(Pet Food Institute:PFI / 1958年設立)はペットが食卓のスクラップ(残飯)を食べることの危険性と、ペットに加工食品(栄養バランスを考えて作られたペットフード)を供給することの重要性について消費者に警告するキャンペーンを開始しました
企業はこの考えのもと、自社製品を「完全な」食品として販売し始めます。



こうした流れの中、ドッグフードは海を渡って日本にもやってきます。
戦後まもない時期にアメリカ軍が日本に持ち込んだのが始まりですが、持ち込まれる量が限られていたことや高価であったことなどから、庶民には手の届かない贅沢品として捉えられていました。
しかしこれがきっかけで日本はドッグフードの存在を知ることとなり、のちの国産ドッグフード開発につながっていくのです。



1960年日本で初の国産ドッグフード発売

1960年、初の国産ドッグフードとして、「ビタワン」が協同飼料株式会社(現在の日本ペットフード株式会社)より発売されます。日本におけるドッグフードの歴史の始まりです。
イギリスでドッグフード事業が始まってからちょうど100年後ですね。


(1989年の「ビタワン」のコマーシャル)

発売当初のビタワンは粉末状で、給餌する際に水に溶いて練らなければならず、価格も当時としては高価であり、そもそもドッグフードが世間に認知されてなかったので、一般に普及するまでには時間がかかりました。

その後ビスケット状のビタワンの開発を経て、アメリカから輸入したエクストルーダーを導入し、1964年に現在のドライタイプの形状に近いペレット状のビタワンが発売されました。

当初の販路は米屋で、米と同様に店頭販売と配達によって売られていたビタワンは、地道な販促活動とイメージキャラクターを使った宣伝活動が徐々に効果を上げ、少しずつ売り上げを伸ばしていきます。
保存が利き、手間がかからず、栄養バランスの取れたドッグフードは次第に世間に受け入れられていき、さらに大量生産によって大幅に価格が抑えられたことで、広く一般に普及していきました。



20世紀中頃から現在にかけて

20世紀中頃になると主に獣医師によって販売される「処方箋」ドッグフードが市場に現れ始めます。

米国動物病院協会(American Animal Hospital Association:AAHA / 1933年設立)の初代会長でもあった獣医師、マーク・モリス(Mark Loren Morris / 1901年〜1993年)は、食事の改善による治療法を提唱し、研究を重ね、慢性的な病気の兆候の軽減と、症状の改善を助けるペットフードを開発していました。

1948年、マーク・モリスはヒルズ(Hill Packing)と世界的な販売契約を交わし、長年の研究と開発によって完成した「ヒルズプリスクリプションダイエット(Hill's Prescription Diet)」を発売します。

ヒルズはその後も開発を進め、1968年に「ヒルズサイエンスダイエット(Hill's Science Diet)」の販売を開始します。
ドッグフードに特別療法食という付加価値を与えたこのブランドは、ヒルズを臨床栄養学と健康管理においての世界のリーディングカンパニーへと成長させます。



一方で、ドッグフードの原料に対して不安視する声が高まっていきます。
アメリカ・ペットフード協会はペットフードに肉の副産物を使用することで、解体業者や畜産業者の副収入を奨励していました。当時の肉副産物は人間の食用に適さない屑肉をはじめ、内臓や骨、歯や蹄、皮や毛、さらに胃の内容物や糞尿など個体全てを含みます。

今まで廃棄されていたようなものを市場に売る有益な方法として、企業はペットフードを利用し、業界は市場を守るためにこうした事実を積極的に公表することはありませんでした。
また、法的な規制も人間用の食品とは違っていたこともあり、企業はコストダウンを図るためにより低品質な原料を使用するようになります。

こうした事実や業界の隠蔽体制に対して一部の消費者から批判が続出するようになりますが、ペットフード業界はあくまでもペットに最適な食べ物としてペットフードを推奨するという立場を崩しませんでした。



20世紀後半になるとドッグフードに起因する健康問題が続出するようになります。
多くは細菌、カビなどの混入による中毒症状で、犬達の嘔吐と食欲減退という消費者からのクレームが中心でしたが、犬の命が犠牲となるケースも発生します。

1999年、ドーンペットケア(Doane Pet Care)が製造したドッグフードを食べた犬の健康被害が発生しました。製品には世界最大のスーパーマーケットチェーン、ウォルマート(Wal-mart)のストアブランド、オルロイ(Ol 'Roy)が含まれていたため、被害は広範囲に広がり、最終的に25頭の犬の命が犠牲になりました。

2007年には最大規模のリコール事件が起き、北米、ヨーロッパ、南アフリカなど広範に被害が拡大し、各地で訴訟が起こるなど、社会問題へと発展します。
この影響で世界で数千匹以上のペットが死亡したと言われています。
原因は大量のメラミンの混入で、汚染された原料を含んだペットフードは日本にも輸入されていました。

これを受けて日本では愛がん動物用飼料(ペットフード)の安全性の確保を図るため、平成21年(2009年)6月1日に、「愛がん動物用飼料の安全性の確保に関する法律」(ペットフード安全法)が施行されました。



ドッグフードの現在

2000年以降もペット関連市場は拡大を続けますが、ドッグフードの市場規模はここ数年減少傾向にあります。
しかし、消費者の健康志向の高まりを受けて、プレミアムドッグフードの市場は伸びてきています。

小規模ながら国産原材料で品質の高いドッグフードを作る日本のメーカーも増えてきていますね。
ビタワンをはじめとする老舗ブランド、メーカーも奮闘していて、根強いファンに支えられています。

現在では多種多様なドッグフードがあり、ひと昔前と比べると選択肢が格段に増えています。
犬にとってはいい時代と言えるのかもしれませんが、粗悪な原料が含まれたドッグフードが普通に売られているのという現実もあります。

また、世界的にペットフードのリコールが多いのは気になるところです。人間用の食品と比べて規制が緩いことが原因かもわかりませんが、有名メーカーやナチュラル志向のものも含めて、結構頻繁にリコールが起きているようです。
気が抜けないというか、リコール情報には気を付けておかないといけませんね。

犬の健康と食べる喜び探求、ワンちゃんに合ったドッグフードが見つかることを願っています。


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