現代の犬の歴史観とその考察
全ての動物の中で私たちヒトの生活に最も近い動物、犬。諸説あるイヌの起源
古くから考古学や生物学、形態学など、あらゆる観点からの研究により、イヌの起源解明への道筋が作られてきました。
1900年代にはイヌの遺伝学的研究が始まったとされていて、近年ではDNA解析を用いた分子遺伝学や分子系統学などに基づく研究、イヌゲノム解読などにより、イヌの起源解明へ向けたさらなる研究が進められ、現在進行形で熱い議論が繰り広げられています。
長年に渡って多くの人々の関心を集め、学者や研究者の興味をそそる調査の対象となっているのは、それだけ犬が人間にとって身近で興味深い存在であるという証しではないでしょうか。
ここでは2017年現在、もっとも有力とされている説を元に犬の歴史に迫っていきたいと思います。
イヌとオオカミ
タイリクオオカミは多くの亜種に細分化されますが、イヌはそのうちの一亜種とする見方が現在では主流です。
つまり犬も狼も、ネコ目(食肉目)-イヌ科-イヌ属のタイリクオオカミ種にカテゴライズされているのです。同じ種ですね。
また、イヌとオオカミ、及び同じイヌ属のコヨーテやジャッカル類は互いに交配が可能で、自然界では古くからそれぞれの交雑種が存在します。
ダーウィンの時代にはコヨーテやジャッカルがイヌの祖先とする説もありました。
イヌの祖先はオオカミ?
主に東アジア起源説、中央アジア起源説、中東アジア起源説、ヨーロッパ起源説があり、イヌがオオカミから分岐した年代は概ね1万5000年前〜3万3000年前と推測されています。
これとは別に未知の(絶滅した)イヌ属が存在し、この動物から(絶滅した)古代オオカミ、タイリクオオカミ、イヌがそれぞれ分岐したとする説があり、この場合の分岐年代は1万1000年前〜1万6000年前、あるいは2万7000年前と推測されています。
さらに別の説としては、13万5000年前に4種類のオオカミよりそれぞれ独立してイヌが発生したとする説があり、いわゆるオオカミの突然変異説がこれに当たります。
この場合はヒトによる家畜化の遥か以前にイヌがイヌとして存在していたことになります。
いずれにしてもイヌとオオカミは互いに切っても切れない存在で、時代を遡るほど限りなく同一に近づいていくのは事実のようです。
今後もよほど新しい発見、これまでの説を覆すような決定的な証拠が出ない限りは、イヌの祖先はオオカミであるとする考えに間違いはないでしょう。
イヌの原始的存在
トマークトゥスとミアキス
Photo by Ghedoghedo - Tomarctus temerarious (2008) / CC BY-SA 3.0 トマークトゥスの化石 |
イヌとオオカミの分岐点からさらに時代を遡ります。
先述したタイリクオオカミを含む6種が属するイヌ属ですが、その直接の祖先はトマークトゥス(Tomarctus)という肉食動物で、現在のほとんどのイヌ科動物、イヌ、オオカミ、キツネ、タヌキなどの共通の祖先とされています。
トマークトゥスの生息時期は約2300万年前〜1600万年前ごろまでのおよそ700万年間で、化石を元に復元された姿はオオカミや現在の大型犬の外観に近く、体のつくりや生態も似ていたと考えられています。
その後長い年月をかけてトマークトゥスから進化したイヌ科動物が徐々に枝分かれしていき、イヌ属、タヌキ属、キツネ属などに別れ、現在に至リます。
イヌ属が他のイヌ科動物と分岐したのは今から約700万年前と推測されています。
ヒトとチンパンジーの分岐の開始が600万年前〜760万年前と(全ゲノム配列の解析と比較から)推定されているので、概ねこれと同じ年代に当たります。
Photo by Mr Fink - Miacis(2008) / CC BY-SA 3.0 ミアキスの想像図 |
しかしミアキスはイヌ科だけではなく、全てのネコ科やクマ科、アシカやアザラシなどの共通の祖先であり、見た目もイタチやミンクに近く、主に森林に生息していたことと、樹上での生活を得意としていたこともあり、イヌとは外見や特徴、生態など、少し異なります。
このことからも、イヌの原始的な存在として考えるのであれば、トマークトゥスがその位置付けに相応しいのではないかと思われます。
イヌとヒトとの関わり
化石から見るオオカミからイヌへの変化
Photo by FRATERNITE SACERDOTALE ET LAÏQUE INTERNATIONALE POUR LE RESPECT ANIMAL イスラエルのアイン・マラッハ遺跡で発見された 1万2000年前のヒトとイヌの化石 ヒトの手がイヌの胸の上に置かれている |
ヒトはイヌと関わる遥か以前から長期間に渡ってオオカミと縄張りを共有してきました。
更新世(約170万年前〜1万年前頃の期間)中期の層から、初期のヒトの骨と一緒にオオカミの骨が発見されています。
ラザレ洞窟内はいくつかの独立した居住区画に仕切られ、大きい部屋の全ての入り口の脇にひとつずつ、オオカミの頭蓋骨が置かれていたのです。
この時代はまだヒトはオオカミと共同に暮らしていたわけではなく、「偶然そうなった」(自然の力で頭蓋骨がその場所に移動した)、という見方もありますが、おそらく守り神として部屋の入り口にオオカミの頭蓋骨を置いていたのではないかと考えられています。
発見された化石はオオカミよりも口吻部(突き出した口先の部分)が短く、歯が小さかったのです。
この遺跡は旧石器時代の終末期に属するナトゥーフ文化(ナトゥーフ期)のもので、ナトゥーフ文化は円形住居を特徴とする最初期の定住型文化であると考えられています。
イヌの埋葬事例としては最古のもので、老女とともに丁寧に埋葬されていたことから、この時代にはイヌがヒトの(永遠の)伴侶として特別に選ばれ、尊重されていたことがわかります。
ただこれらのイヌ科動物の化石をイヌとするかオオカミとするかは見解が分かれていて、最古のイヌの化石とされるものは複数の主張があり、その年代も様々です。
いずれにしてもオオカミからイヌへの生態的、および形態的変化にヒトの存在が大きく関わっていることは間違いないようです。
一部のオオカミがヒトの傍らでの生活を始め、こうした先駆的なオオカミは徐々に本来の野生のオオカミから生態を変化させ、ヒトに飼い馴らされる前の段階ですでに身体的変化が起こっていたと考えられています。
歴史上最古の家畜
時代が進むと一部では農耕が始まり、それに合わせてヒトは住居を構え、一定の期間その場に定住するようになります。
家畜化のきっかけ
イヌがヒトと関わりを持つようになった最初期は、オオカミ(あるいは限りなくオオカミに近いイヌ)がヒトの残飯を狙い、ヒトの居住地の近くで生活をするようになり、徐々にヒトに接近していったと考えられます。ではなぜヒトはオオカミと行動を共にするようになったのか。これにはオオカミの生態的、精神的特徴が大きく関わっています。
オオカミは通常少数の群れを形成して生きていきます。時には10頭を超えるグループを形成しますが、多くは4〜8頭程度の家族で行動します。
オオカミがヒトの居住地の近くに居座っていたとしても、その目的が主に残飯を狙っているだけであるのなら、ヒトはやがて過剰には反応しなくなります。
後期旧石器時代となればヒトは狩猟用、あるいは護身用に石刃を用いた槍やナイフなどの殺傷能力の高い武器を持っているので、オオカミといえどその群れが少数であるならばヒトの集団の方が優位です。
オオカミもヒトが武器を使うことはわかっているので、人を襲っても自分たちが無傷でいられる保証はなく、痛手を負った場合はたとえ群れで行動するとしても厳しい自然と環境、弱肉強食の世界で生きていく上でリスクが高い、ということを理解しています。
もちろん当初はヒトもオオカミを敵、あるいは狩猟の対象と見なしていましたが、オオカミが近くにいる生活を長く続けるうちに、オオカミが持ついくつかの習性を間近で見ることになり、オオカミに対する考え方に変化が生まれます。
双方の利点
オオカミは非常に優れた嗅覚と聴覚、そして動きに対して敏感な視覚を持ち、敵の存在や危険を察知する能力が高く、他の肉食動物などが近づいてきた時などはその対象に向かって警戒し、激しく威嚇しながら対峙します。成熟したオオカミは遠吠え以外では滅多に吠えることはありませんが、オオカミの子はよく吠えます。
その反応はヒトよりも早いので、ヒトはオオカミの警戒する様子や咆哮から己の身に危険が迫っていることを理解します。
ヒトはこの経験を繰り返すことによって、すぐそばにいるオオカミが危険な動物の存在を早期に知らせてくれることに気付きます。
やがてヒトは自分たちの身を守る目的でオオカミを利用することを考え始めます。
そばにいるオオカミに食糧を与え、あるいはオオカミの巣から子供を奪い、育て、手懐けようとします。
ヒトを捕食しようとする勇敢な大型の捕食動物も、相手がヒトとオオカミの集団ならば容易には手を出さないでしょう。トラやピューマなど、ネコ科の捕食動物の多くが単独で狩をします。
オオカミにとってもヒトと共に生活することである程度安定して食糧を得ることができ、狩りの際のリスクも減ります。野生動物にとってリスクを減らすことは、食糧を得ることと同じくらい重要です。
オオカミ少数もしくは単独で行動するよりも人の集団に紛れた方がずっと安全だ、と考えた一部の先駆的なオオカミ(あるいは初期のイヌ)は、より積極的にヒトに接近するようになります。
こうして双方の利点が合致し、一部のヒトと一部のオオカミが共同生活を成功させ、最古の家畜化が始まりました。
決め手となったのは、オオカミが群れを形成する時に必要な主従関係の意識、そしてその変化です。集団における主従の「主」がオオカミからヒトに置き換わった瞬間に、野生のオオカミはイヌとしての新たな歩みを始めることになったのです。
家畜としてのイヌ
狩猟ではその能力を存分に発揮し、ヒトはより効率的に獲物を捕らえるようになります。
一部のヒトや集団にとってはイヌはなくてはならない存在となり、イヌもヒトとの共同生活に馴染んでいきます。
ヒトはしつけや訓練をしながらイヌとの共同生活を続けます。
その中でイヌの人為選択が始まり、おそらくはヒトに懐かないイヌや体の弱いイヌを集団の外に追いやるなどして、より扱いやすく、より集団の目的に合った性質を持つ個体を取捨選択していきます。
こうして選ばれ、育てられたイヌは、徐々に野生のオオカミとは異なった性質を持つようになり、より現代の犬に近い存在へと変化していきます。
また、こうした過程の中でヒトの考え方にも変化が起こり、他の動物に対するものとは違った感情をイヌに対して持つようになったと考えられます。友情や愛情ですね。
ヒトがイヌを友のように想い、ヒトを愛するのと同じように、イヌもヒトを友のように感じ、愛し始めます。
この双方向の感情は非常に重要で、その後のヒトとイヌの発展および進化に大きな影響を与えることになります。
時代が進み、ヒトが農耕を始めるようになっても、イヌは番犬として活躍し、ヒトの暮らしに寄り添います。
イヌの家畜化に成功したことで野生の動物に新たな価値と用途を見いだしたヒトは、次第にイヌ以外の動物、羊や牛なども家畜化するようになり、その乳や肉などを生活の糧にするために牧畜を始めます。
ここでもイヌは他の家畜の誘導や見張り、盗難や外敵から守るといった役割を持ち、後に続く文明社会の中で更にその存在感を強め、重要な役目を果たしていくことになります。
文明社会におけるイヌ
Egyptian - Man with Calf and Dog エジプト古王国のレリーフ 紀元前2400年頃 |
石器時代が終わりに近づくにつれて各地で農業が始まり、その発展とともに社会が形成され、文明が発生し、本格的に文明社会に突入していきます。
ヒトの暮らしは激変し、集落から村へ、町から都市へと集団の規模が徐々に大きくなり、国家の形成を経て人類は大きな発展を遂げます。
文明の起こった時期は地域によって年代が異なり、文明の定義によって解釈もまちまちですが、紀元前3100年頃に古代エジプト初期王朝、紀元前2900年頃に古代メソポタミアのシュメール初期王朝が成立していることから、今からおよそ5000年前頃までには高度に組織化された社会が作られていたと考えられます。
古代エジプトをはじめギリシャ、バビロニア、中国など様々な地域で軍用犬が利用され、戦闘に活用されました。
イヌの闘争心はしばしば娯楽としても利用され、古代ローマで闘犬が始まり、闘犬はギャンブルとして世界各地に広がっていきます。
また、北極圏や積雪地帯でも、貴重な使役動物としてイヌは利用されます。
北シベリアやアラスカ、カナダなどの高緯度地域、特に積雪地帯では、馬や牛などの人荷輸送に適した動物および車輪が使用できず、これらの代わりに犬ぞりが用いられます。
人間が極地で生活するためにもイヌは必要不可欠な存在になっていきました。
一方で、宗教的な観点から、あるいは疫病を広めると信じられていたことから、一部の地域ではイヌは不浄なものとして嫌悪されるようになります。
このような社会ではイヌと一定の距離が置かれ、イヌは社会に依存しながらも、主に野犬として生きていくことになります。
愛玩動物、いわゆるペットとして明確に認識され始めたのがこの頃になります。
一方、労働力としてのイヌもそれぞれの役割に合わせて特性を進化させることで活動の幅を広げ、人類の発展とともに世界中に広まっていきました。
犬種の発生
Photo by Giovanni Padrone 約1万〜1万2000年前に描かれた 人とともに狩りをする犬 リビア、タドラルト・アカクスの岩絵 |
イヌが人とともに世界中に広まると同時に、今日の「犬種」に該当するようなイヌの特徴、性質や外見の違いが発生しました。
最も古い犬種とされるサルーキは、早くから狩猟犬として利用されてきた記録があります。
古い記録ではメソポタミア文明の古代遺跡にサルーキの特徴を捉えた彫刻があり、その年代は紀元前6000〜7000年頃になります。
更に古い記録としては紀元前8000〜1万年頃に描かれた洞窟壁画の中に、ヒトとともに狩りをするサルーキと思われる、オオカミとは明らかに異なる特徴を持つイヌの姿を見ることができます。
紀元前2100年頃の古代エジプトの墳墓からは丁寧に埋葬されたサルーキが見つかっていて、当時の王や人々から非常に尊重されていた証とされています。
同じ時代に日本列島では現代の芝犬に似た特徴を持つ縄文犬が生息していました。
埋葬された事例としては国内最古のイヌの骨が、愛知県の上黒岩岩陰遺跡から発掘されています。年代は今から約7200〜7300年前になります。
これらから推測すると遅くても紀元前5000年頃までには、世界各地に広がったイヌがそれぞれの地域の風土に適応し、さらに労働などの目的に合わせた人為選択による影響を受け、現代の犬のルーツとなるいくつかの犬種に分かれていったと考えられます。
加速する進化
イヌは環境への適応や人為選択によってそれぞれの特性を進化させ、人間は長い年月をかけて交配を管理することによって犬種を固定させました。さらに時代が進むと、人間はイヌに対して新たな要求を持つようになり、より積極的に人為選択を進め、交雑や突然変異の利用を組み合わせたイヌの品種改良に着手します。
中世のヨーロッパでは狩猟が一部娯楽化し、貴族のスポーツとして浸透するようになりました。
15世紀頃には銃がヨーロッパに広がり、狩猟スタイルも大きく変化していきます。
これに合わせて狩猟犬の品種改良が盛んになり、狩猟スタイルの変化に対応する目的で狩猟犬の性質をさらに特化させます。
視覚と走力に特化したサイト(視覚)ハウンド、嗅覚と追跡に特化したセント(嗅覚)ハウンド、泳ぎに特化した犬種などを作り出し、さらにこれらの一部を小動物の巣穴に潜らせる目的で小型化し、それぞれの役割に合わせて分化していきました。
また、主に王族や貴族、地主などの富裕層の間でペット文化が急速に広がり、家畜の労働とは離れた分野での品種改良が進みます。
ここで重要視されたのは毛並みや色の美しさ、顔立ちの精悍さや愛くるしさといった外観に関することで、イヌの性格もよりおとなしく従順になっていきます。
こうして主に中世のヨーロッパを中心にイヌは劇的な進化を遂げ、現代に通ずる様々な犬種が生まれました。
近代から現代
ニューヨーク、マディソンスクエアガーデンでの ウェストミンスターケネルクラブショーの展示会 1904年 |
中世のヨーロッパを中心に生まれた犬種はその後さらに細分化され、近代から現代にかけて多種多様な広がりを見せます。
狩猟はスポーツとしてさらなる発展を遂げ、牧畜はより広範囲に広がり、より大規模になります。
18世紀の中頃から貴族や富裕層の間でイヌの品評会が開催され、当初は主に外貌の美しさや従順さ、気品などが競われていました。
19世紀に入るとこの文化は次第に庶民にも広がり、愛好家の間でドッグショーとして本格化していきます。
しかし当時はまだ「犬種」という概念や定義が定まっておらず、本格化するドッグショーの運営を円滑に進め、トラブルを回避するために、新たな指針が必要になりました。
この問題に対応する形で、1873年にイギリスでケネルクラブ(The Kennel Club)が誕生します。
ケネルクラブはイヌの血統を確立することを目的として、40犬種に分かれる4000以上の血統を登録した犬籍簿を作成します。
一方で、18世紀から19世紀にかけてギャンブルやショーとして開催されていた闘犬が最盛期を迎えますが、しばらくすると公に禁止されるようになります。動物愛護の観点から批判が集まったことが原因となったようです。
こうした流れから、動物保護を目的にしたものとして現存国家における最初の法律が1822年にイギリスで成立します。
法案を提出したリチャード・マーチン議員の名前をとって「マーチン法」と呼ばれる法律で、今現在の動物保護法の基本法となっています。
1860年には同じくイギリスで、世界で初めてのドッグフード事業が始まります。
アメリカ出身のジェームス・スプラットが製造した犬用ビスケットはスポーツ犬の育成に熱心な英国紳士を中心に大ヒットし、成功を収めたジェームス・スプラットはアメリカに帰国した後、1870年にアメリカでドッグフード事業を開始します。
※ドッグフードの歴史についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧下さい ↓
『ドッグフードの歴史|発祥から現在』
同じ19世紀、1896年にドイツのヒルデスハイム市警察で世界初の警察犬が誕生し、その後ベルギー、イギリス、日本などがこれに続き、警察犬の採用は世界に広がります。
19世紀後半に始まったアラスカのゴールドラッシュでもイヌは活躍します。
そり犬として速さと持久力、そして耐久性のあるイヌが重宝され、砂金を含む岩石と人の運搬に活用されました。
20世紀に入るとアメリカでドッグレースが始まり、南極に犬ぞりが持ち込まれるなど、イヌは活動の場をさらに広げ、地球上のいたるところで躍動します。
ペット文化は大衆に普及し、世界中の一般家庭でイヌが飼育されるようになりました。
一方で、人間の手から離れて野生に戻ったイヌも古くから存在します。長い歴史の中でその多くは淘汰されて絶滅しましたが、一部は野生化に成功し、厳しい生存競争の中で力強く生き抜きます。
この中間の野犬や野良犬と呼ばれるイヌは、人間の生活域の近くで、人間社会に依存しながら、時には人間社会に淘汰されながら、懸命に生きています。
こうしてイヌはヒトと共に地球上のあらゆる地域に進出し、あらゆる環境に順応しながら、驚くべき速度で進化を遂げました。
その個体数は人口に比例するように一気に増加していき、現在に至ります。
犬の現在
これは各国の飼育頭数のデータから見積もられた数字ですが、国によって正確なデータが取れないことと、飼育されていない犬のデータが不足していることもあり、5億匹、あるいは10億匹以上存在するという見方もあります。
人類の進化に伴い、多くの哺乳類の数が減少し、その一部が絶滅してきたと考えられている中で、野生から離れた犬がその個体数を増やし、他のどの動物でも見ることができない進化を遂げてきたことは、非常に興味深いですね。
逆に野生のままでいたオオカミは同じ時間を生きてきても犬ほど多彩に進化せず、個体数でも犬に圧倒されました。
人と共に生きることを選んだ犬は、その瞬間から生存競争で優位に立ったのかもしれません。
これまでの記述で触れた番犬、狩猟犬、牧畜犬、そり犬、軍用犬、闘犬、スポーツ犬、警察犬などに加えて、さらに犬の活躍の場は広がり、より個人の生活に沿った役割を担っています。
現在では、視覚に障害のある人の手助けをする盲導犬、聴覚に障害のある人の手助けをする聴導犬、手足や身体に障害がある人の手助けをする介護犬が多くの国で活躍しています。
日本では平成14年に身体障害者保護犬法が施行され、盲導犬・聴導犬・介護犬の3種の補助犬の使用者の自立、及び社会参加の促進に寄与する環境整備が進められています。
また、怪我や病気、認知症や自閉症など、様々な障害やストレスを持つ人の心と身体の機能回復を補助することを目的として、セラピー犬が活動しています。
身体的にも精神的にも犬は人間に寄り添い、人々の暮らしをサポートしてくれています。
この他にも人を助けるために訓練された犬は数多く存在し、災害救助犬、探索救助犬、山岳救助犬、水難救助犬など、特別に訓練された犬たちが緊急時の人命救助に尽力しています。
近年の研究によって犬が悪性黒色腫(メラノーマ)、および複数のがんを嗅ぎ分けることがわかってきました。
発作警告犬(発作が起こる直前にそれ察知し知らせる犬)も人間にはわからない何らかのサインに気付きます。
犬の能力の新たな発見は今後も続き、犬の役割も増え続けていくでしょう。
一方で、近代から現代にかけては犬の殺処分の問題があり、動物愛護の観点からも大きな課題が残されています。
いつも人とともに
いつの時代も人がいるところには犬がいました。人間はすぐそばにいる犬の利用価値を思案し、新たな可能性を模索し、試行錯誤を繰り返しました。
そして犬に魅了され、時にはその能力に驚嘆し、特別に愛してきました。
人間がいなければ犬はここまで進化しなかったでしょう。
同時に、人間も犬がいなければ、今日の発展はなかったのかもしれません。
このとびきり個性的でおかしな動物を人間は家族として迎え入れました。
以来途方もなく長い年月を、互いに補い助け合いながら、大きく離れることもなく、今日まで過ごしてきたのです。
ではこれから先はどうなるでしょうか?
今さら完全に離れる未来は想像できません。たとえロボットが身近になったとしても、家庭における犬の存在価値は変わらないように思います。
飼い犬の寿命は近代から現代にかけて緩やかに伸びてきています。寿命が伸びれば高齢犬の割合も増え、その分病気のリスクも高まります。人間と同じですね。
犬はまた新たな進化を遂げ、未来においてもうまく順応していくのかもしれませんが、鍵を握るのはやはり人間の存在ではないでしょうか。
人間と犬、これから先も今の関係が穏やかに続いていくのだとしたら、人間にとっても犬にとっても、より幸せな明るい未来が待っていることを願ってやみません。
終わりに
想像以上に複雑で難解なテーマです。
イヌの起源については個人的にも非常に興味のあるテーマなので、解明に繋がる決定的な研究結果が報告されるのはすごく楽しみなのですが、これはまだ少し先の未来になりそうですね。
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